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朝ドラブギウギのモデルは笠置シヅ子!娘は亀井エイ子で未婚の理由は?

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2023年後期NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」。

主演の趣里さんがつとめるヒロインは、モデルが実在します。

その方は、戦後の日本に明るさをもたらし、“東京ブギウギ”のヒットで爆発的な人気を得た「ブギの女王」こと笠置シヅ子さんです。

今回は、朝ドラブギウギのモデル・笠置シヅ子について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

目次

朝ドラブギウギのモデルは笠置シヅ子!

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ブギウギのモデルは、歌手・女優として活躍した笠置シヅ子さんです。

1914年8月25日、香川県大川郡相生村に誕生し、両親の事情で亀井うめとその夫・音吉の養女となります。

大阪で育ち、夫妻の影響で日本舞踊や三味線を習い、夫妻が営む銭湯で歌や踊りを披露していました。

小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校が不合格となり、松竹楽劇部生徒養成所に入ります。

その後、23歳で松竹楽劇団の専属メンバーに選ばれ、上京します。

淡谷のり子の“別れのブルース”など、多くのヒット作を生み出した作曲家・服部良一に見初められ、笠置シヅ子はジャズ歌手として鍛えられます。

デビュー曲“ラッパと娘”が評判を呼び、「スウィングの女王」として一気に人気を博していきます。

NHK

しかし、戦争がはじまり、ジャズは「敵性音楽」と言われ、公演中止が相次ぎます。

終戦まで思うような活動ができず、第二次世界大戦終結後、服部良一が手がけた『東京ブギウギ』が、爆発的なヒットとなりました。

その後も服部良一と組んで、『買物ブギー』がヒットし、「ワテホンマニヨーイワンワ」は流行語となりました。

“ブギの女王”として名を馳せますが、下火となったあとは歌手を引退しています。

その後は女優業に専念し、テレビや映画、舞台で活躍しました。

そして、昭和60年3月30日、70歳でこの世を去っています。

ブギウギの笠置シヅ子が未婚の母の理由は?

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笠置シヅ子さんは戦時中、養母・うめが亡くなり、弟が戦死するという不幸が相次ぎます。

そんな中、自身の大ファンという一人の青年に会い、生涯ただ一人の燃えるような恋に落ちていきました。

その青年は、吉本穎右。吉本興業の創業者・吉本せいの息子で、笠置シヅ子の9歳年下で20歳の学生でした。

2人は結婚を誓い合うも、吉本穎右が結核に罹患し、母のせいが猛反対したことにより、実現しませんでした。

そんな中、笠置シヅ子は吉本穎右の子を身ごもります。

東京大空襲で家を全焼し、笠置シヅ子は無一文の中出産が迫っていました。

その状態のまま、吉本穎右は24歳の若さで亡くなってしまいました。

最愛の人の死に目にも立ち会えなかった悲しみに打ちひしがれ、翌月には娘・ヱイ子を出産します。

出産後は引退して家庭に入るつもりでしたが、シングルマザーとして娘を育てていく覚悟を決めます。

ドラマでも、この辺りはメインで描かれるのではないでしょうか。

恋人の吉本穎右(村山愛助)役は、水上恒司さんが演じますので、恋に落ちるも結ばれない悲惨な結末となりそうです。

実際、第1話の冒頭で、いきなり布に包まれた赤ちゃんが登場していましたよね。

笠置シヅ子の娘の現在は?

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笠置シヅ子が出産した娘・亀井エイ子さんは、現在76歳でご健在です。

「エイ子」は、吉本頴右さんが生前、女の子なら「エイ子」と決めていたそうで、笠置シヅ子はそのまま「エイ子」と名付けました。

「笠置」というのは芸名なので、エイ子さんは本名の「亀井」姓なのですね。

亀井エイ子さんは一般人ですが、トークイベントに出演されているようです。

母の笠置シヅ子さんがモデルとなった「ブギウギ」が放送されるので、またイベントなど出演してほしいですね。

まとめ

今回は、朝ドラブギウギのモデル・笠置シヅ子について、紹介しました!

笠置シヅ子さんは戦後の日本に活力をもたらした「ブギの女王」で、「東京ブギウギ」は伝説の歌となっています。

結婚を約束していた恋人とは結ばれず、シングルマザーとして娘を育て、独身を貫きました。

今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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