俳優の志垣太郎さんが、2022年3月5日に心不全のためこの世を去っていたことが、12月6日に報道されました。
長男の匠さんが自身のTwitterにて報告したのですが、現在はどのような活動をしているのでしょうか?
また、嫁・白坂紀子さんの現在も気になりますね。
今回は、志垣太郎さんの息子や嫁について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
志垣太郎の息子・匠の現在は?
志垣太郎さんが、2022年3月にこの世を去っていたことを、息子である匠さんのツイッターで報告しています。享年70歳。
志垣太郎さんと白坂紀子さんの間に誕生したお子さんは、長男の匠さん1人だけだったようですね。
- 名前 :匠
- 生年月日:1988年5月13日
- 出身地 :東京都
- 学歴 :立教新座高校・立教大学社会学部
- 身長 :171cm
父である志垣太郎さんは、本名を「河村 稔(かわむらみのる)」といいます。そのため、匠さんも苗字は河村ということですね。
以前は、和音匠(かずねたくみ)という芸名で活動していたので、匠は本名なのでしょうか。
しかし、匠さんは活動すにあたり、「匠の視点で語れるタレントになりたい」という思いがあったので、もしかしたら名前も芸名なのかもしれません。
以前はタレントや俳優として活動してましたが、現在は芸能界を引退しています。
学歴
匠さんは、幼少期から音楽や映画、お笑いなどのエンターテイメントが大好きだったそうです。
5歳からクラシックピアノを習い始め、小学生でピティナピアノコンクール優秀賞を受賞、高校生で聖歌隊に所属し、大学では軽音楽部に所属していました。
クラシック系のみならず、X JAPANや、モトリー・クルーなども好み、洋楽や歌謡曲、演歌などに影響を受けたそうです。
高校・大学時代は、ヴィジュアル系やハードロック、ヘヴィーメタルなどの音楽に没頭していたそうですよ。
ギターやピアノは現在も続けているそうです。
匠さんのデビュー作となった映画『今日子と修一の場合』では、ピアニストを目指す青年を演じており、そこで自ら演奏シーンを披露しています。
ピアノを始めたのも、母である白坂紀子さんが、ピアノとヴァイオリンが得意だったからのようですね。
匠さんの出身高校は立教新座高校で、中高一貫高校の偏差値72という難関高校です。
卒業生にはミュージシャンの佐野元春さんや、タレントのルー大柴さん、みのもんたさんらがいるようですね。
高校卒業後は、立教大学社会学部(偏差値62.5~65)に進学しました。元アナウンサーの徳光和夫さんの母校でもありますね。
大学時代も大好きなヴィジュアル系などの音楽に没頭し、軽音楽部に所属するかたわら、映画の批評コメントを執筆したりと、エンターテインメントにものめりこんでいったそうです。
経歴
エンターテイナーになりたいと思った匠さんは、2013年に奥田瑛二監督映画『今日子と修一の場合』のオーディションに合格し、俳優デビューとなりました。
自身が演奏したピアノ音源がそのまま劇中音楽に採用され、演奏シーンもすべて自身によるものだったそうですよ。
奥田監督が「彼は僕の40年来の友達でもある志垣太郎のご子息なんです」と和音を紹介。その後、安藤が心配げに「志垣さんの息子であることを言っちゃっていいの?」と問いかけると、和音は「いずれはわかってしまうことなので」と奥田の紹介を受けるように志垣の息子であることを認めた。
Yahooニュース
匠さんは当初、お父さんが志垣太郎さんということを、公表していなかったみたいですね。
親の七光りと思われたくなかったのかもしれません。ただ、「隠すつもりはなかった」と話しており、「俳優としても芸能人としても尊敬している」ということでした。
「父の息子であることは恥ずべきことではない。父のDNAを信じている」と、まじめなコメントをしています。
当初はフリーランスで活動していた匠さんですが、大手芸能事務所のオスカープロモーションに所属しました。
どうやら志垣太郎さんもオスカープロモーションに所属していたことがあるようで、その関係だったのかもしれませんね。
バラエティ番組「踊るさんま御殿」には何度も出演していますし、2017年には父の志垣太郎さんとも一緒に出演していました。
そして、2020年5月にオスカープロモーションを円満退社した後は、芸能界を引退し、一般人となっています。
志垣太郎の嫁・白坂紀子の現在は?
志垣太郎さんの奥さんは、元女優の白坂紀子さんです。
白坂紀子さんが芸能界を志したきっかけは、幼少期から音楽が大好きで、ミュージカル「サウンドオブミュージック」に影響されたことだったそうです。
裕福な家庭に育ち、小学校から学校法人成蹊学園に通っていました。
1978年6月には芸能事務所「渡辺プロダクション」に所属し、芸能界に専念するため、成蹊大学英文科を中退します。
白坂紀子さんの本名は「河村朱美」で、旧姓は「只隅朱美」といいます。
テレビ朝日「みごろ!ゴロゴロ!大放送!!」に出演し、キャンディーズの二代目グループ「フィーバー」を選ぶオーディションに参加しました。
視聴者投票で上位に3名に入れなかったものの、子供向けワイドショー「夕焼けロンちゃん」の2代目のお姉さんとして人気を集めました。
そして1980年には、「ドリーム・ブリージン」で歌手デビューし、子供から絶大な支持を集めています。
1980年には「ウルトラマン80」に出演し、主人公・矢的猛の職場である桜ヶ岡中学校の事務員・ノンちゃん役を演じています。
志垣太郎さんとの出会いは、1982年3月放送の「水戸黄門」での共演でした。
当時、志垣太郎さんはイケメンでプレイボーイともいわれていましたので、最初は警戒していたそうです。
しかし、だんだん志垣太郎さんの真面目な性格に惹かれ、1985年6月に結婚しました。
実は志垣太郎さんは、ロックバンド「ラルクアンシエル」のhydeさんとも親戚関係だそうで、皆さん目鼻立ちが整ったイケメンですよね。
白坂紀子さんは1958年1月10日生まれなので、志垣太郎さんとは7歳差の夫婦だったのですね。
その後は「月曜ワイド劇場 / 雲の階段 ニセ医師をめぐる女二人」を最後に、芸能界を引退しているようです。
そして、1988年5月13日、30歳のときに息子の匠さんを出産しています。
まとめ
今回は、志垣太郎さんの息子や嫁について、紹介しました。
現在は匠さんも白坂紀子さんも芸能界を引退しておりますが、それぞれの分野で活躍していたことがわかりました。
今回の志垣太郎さんの訃報は、本当にショックだったでしょうね。最後まで御覧いただきありがとうございました。