「天下を取った女芸人」とも言われている、山田邦子さん。若い頃の活躍っぷりは、伝説とも言われています。
『M-1グランプリ2022』では初めて審査員をつとめることとなり、注目を集めていますね。
今回は、山田邦子さんの若い頃の活躍っぷりや月収について、調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。
【画像】山田邦子の若い頃の最高月収は1億!
山田邦子さんはかつて、漫才ブームに便乗して巻き起こったお笑いブームで、有望株として大注目を集めていました。
女性で唯一、「天下を取ったお笑いタレント」とも言われていたのです。
山田邦子さんは「オレたちひょうきん族」「いきなり!フライデーナイト」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」など、代表的番組をいくつも抱えていましたね。
お笑い芸人で活躍しつつ、女優や小説家としても活躍しており、毎日テレビで見ない日は無いほどでした。
山田邦子さんは1981年に素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出演し、チャンピオンとなりました。
そのことがキッカケで、太田プロダクションに所属し、お笑いタレントとしてデビューします。
その際に給料が歩合制になったので、なんと月収は6倍に跳ね上がったようです。
その後、1980年~1990年代にかけては、山田邦子さんの人気はどんどんあがっていきます。
そして山田邦子さんは、当時の月収を「1億円くらいかな・・・」と告白し、驚きの声があがっています。
単純計算で、年収が12億円ということになりますね。もちろん歩合制なので、月収が毎月変わるのですが、それでも年収10億円はあったのでしょう。
デビュー当時は芸能事務所に所属せず、自らマネージャー業務もこなしていたという山田。その後、大手芸能事務所に所属し、給料が歩合制になった途端、月収が6倍になったという。お金の話が大好きな岡村と亮は、山田に最高月収について質問。すると、「1億円くらいかな…」とさらりと回答。桁違いの額に2人はあ然とする。
アサジョ
「オレたちひょうきん族」出演当時は、「青春だった!」と振り返っていました。
バブル時代の給料事情
なんと当時はギャラが手渡しだったそうで、大きな紙袋にそのまま入れて渡されえたそうですよ。
「手で持って、銀行にそのまま行くとか、そこからちょっと取って後輩と飲んだりとか」と答え、持ったまま飲みに行くと「全然酔わない、ピリピリしちゃって。後輩も嫌がって『1回家に帰りましょうよ』って」笑った。
アサジョ
当時の山田邦子さんの年収は、もっと稼いでいる人に比べると、中くらいだったそうで・・・恐るべし、バブル時代ですね!
ある日、高級車をすすめられた山田邦子さんは、約1000万円のベンツとポルシェを立て続けに買っていたそうですよ。
また、せんだみつおさんからのおすすめで、1億8000万の家を買ったそうです。
収録後に共演者やスタッフとともに高級店でかにを食べたときは、総額200万円のお支払だったそうです。
たまの連休では、ファーストクラスでニューヨークに渡り、現地でヘリをチャーターしたりと、けた違いの稼ぎっぷりを明かしていました。
人気の理由は好感度の高さ
明るくサバサバしている山田邦子さんは、お茶の間からの好感度も高く、出演する番組はたちまち人気となります。
自身の名前が入った冠番組を持つようになり、バラエティー番組だけにとどまらず、CMやCDデビューも果たしていました。
Winkのパロディユニット「やまだかつてないWink」としてリリースした、『さよならだけどさよならじゃない』は、大ヒットとなっています。
歌手としては普段のイメージとは全く異なり、透き通った声が大人気となりました。
山田邦子さんと言えば、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』といっても良いでしょう。
自身の名前が入った冠番組を持つというのは、ブレイクの証拠ですよね。
さらに、あの「リカちゃん人形」から、「ク二ちゃん」が販売され、人気過ぎて完売するほどでした。
当時は、リカちゃんではなくクニちゃんを選んだり、両親や祖父母からクニちゃんが送られる、と話題になったのです。
おもちゃになるなんて、いかに山田邦子さんが人気だったかが分かりますね。
レギュラー番組は全盛期で、週14本!あまりにも忙しすぎて、髪型を坊主にし、カツラをかぶってヘアメイクの時間を短縮していたという逸話があります。
1996年発表の「好きなタレント調査」では、好感度1位を獲得し、それから8年連続で1位に輝いています。
借金があった
山田邦子さんは、けた違いの借金も背負っており、その額は驚異の22億円!
ただ、この借金は本人ではなく、家族が作った借金でした。
29歳の時に税金対策で、家族が子会社をつくり、不動産投資を行っていました。
しかし、山田邦子さんが稼いだお金を、家族がすべて投資に使い、と借金まで作ってしまったのです。
借金返済をしても、家族がさらにまた借り入れという悪循環で、だんだん山田邦子さんも精神的に追い詰められていたそうです。
最終的に借金が22億円にまで膨れ上がり、会社を解散。2年かけて、全額返済したそうですよ。
山田邦子の現在は?
山田邦子さんは、30代半ばだった1990年代後半ごろから仕事が減少し、あまりテレビに出演しなくなりました。
本人曰く、「ブームが終わった」ということでしたが、いろいろなスキャンダルが原因で干された、とも言われています。
1995年、山田邦子さんはテレビ制作社長との不倫が報じられ、芸能レポーターの井上公造さんにも「お前もてないだろ」「馬鹿じゃないの」と、暴言をはくところが放送されてしまいます。
その結果好感度は下がってしまい、1997年には山田邦子さんの冠番組がなくなりました。
2000年に「ゴッズダイナミックワールド」社長の後藤史郎さんと結婚したものの、不倫のイメージはぬぐえませんでした。
その後、2007年4月にバラエティ番組内で乳がんが発覚し、2回の手術で全摘出しています。
それ以降はがん検診の啓蒙活動などに尽力しており、テレビよりそちらの活動に力を注いでいるようですね。
また現在は、Youtube配信や、テレビやラジオ、舞台にも出演しています。
もしかしたらM1グランプリをきっかけに、メディアへの露出が増えていくかもしれませんね。
もともと山田邦子さんは、落語家を目指し、早稲田大学の寄席演芸研究会にも入っていたほどです。
そういった経緯から、桂竹丸さんや桂宮治さんと親交があり、その縁で浅草の舞台にも出演しているようです。
ひそかに大喜利の司会席も狙っているそうですから、まだまだ現役で活躍しているようですね。
まとめ
今回は、山田邦子さんの若い頃の活躍っぷりや月収について、紹介しました!
最近の方は知らないかもしれませんが、当時はかなりの人気っぷりで、テレビで見ない日はないほどの活躍だったようです。
最高月収は1億円越えで、年収もかなりの額だったようですね。
今後の情報にも注目ですね。最後までお読みいただき、ありがとうございました。